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No.21終了

11月下旬、義母が入院しました。

こんな時は事がいろいろ重なるもので、義姉や息子とケガや病気が続きバタバタと日が過ぎてしまいました。今日ようやく一山越えてホッと一息ついたところです。

夫から義母が入院したとメールをもらった時、ビックリしたのと同時になにごとかを覚悟したところがありました。実家の父が入院した時にも思ったこと。

これからどんなことがあっても、その時その時、私ができる精一杯のことをしよう。

誰かのためだけではなく、なにかのためだけでもなく、まして自分のためだけでもなく、自分にとって大切と思うことはあきらめずに全部大切にしよう。

この先みんながずーっと元気でいるとは限らない。もしかしたらなにか手助けのいる家族が出てくるかもしれない。その人を大切に思うことと、自分のやりたいことを天秤にかけるのはやめよう。どちらかひとつじゃなくて、どちらも取れる選択をしよう。たとえ100%の配分率じゃなくても、1対99でも1を作ろう。

大切なことがたくさんある時、最も大切にすべきなのは自分自身なのかもしれません。

今日No.21が終わりました。

「愛への新しいはじまり」というのがこのボトルの名まえです。

私はずっと、愛って好きな人に注ぐ感情のことだと思っていました。最も愛おしく感じるもの、好きだと思うものに対して愛を感じるのは自然ですが、最も苦手なもの、共感できないものにも思いを寄せ、最善を尽くそうとする。それもまた愛なんじゃないかと思うようになりました。なにも無理して愛しなさいってことじゃなくて、たとえば目の前で人が転んで大ケガしたとして、何も感じず、何も思わず、立ち去れる人がいるでしょうか。それが知ってる人であれ、知らない人であれ、好きな人であれ、キライな人であれ、そんな時にはとっさになにか動いてしまうのが人間なんじゃないかなあ。それがその時最善を尽くすってことだと思うのです。

どんなに愛せないと思う人でも、その時その時での最善を尽くすことはできるし、その積み重ねは別のなにかに繋がっていくような気がするのです。それがなにかは私にはまだわからないけど、一昨年の今頃のように哀しくもなく、去年の今頃のように苦しくもなく、むしろ静かで穏やかな気持ちでいられるのがすごくうれしい。

今私を愛しているよと言ってくれる人がひとりもいなかったとしても、なんだかたくさんの愛の中にいるような気がします。

愛されていると思っていた、たくさん愛をもっていると思っていたあの時よりずっと。

といっても、愛って持ってられるもんじゃないんだろうなあ~。

まあ、そんなことはどうでもよくて、

ただただ、満ち足りた静かな気分。

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オーラソーマ」カテゴリの記事

コメント

>哀しくもなく、・・・・・苦しくもなく、むしろ静かで穏やかな気持ちでいられる

>なんだかたくさんの愛の中にいるような気がします。

とってもすてきな感覚です。
月の光に照らされた、さざなみがたつ夜の湖が思い浮かびました。とっても静かな、それでいて、あったかい夜です。

いろんな気持ちがこなれていくうちに、
その感覚が残ったのでしょうか。

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