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私につながる人たち

今年の夏はお墓参りに行こうと決めていた。結婚してから3年くらいは夫と息子、お義母さん家族みんなで行っていたけれど、家の中の空気と比例するかのように、次第に私だけ足が遠のいていった。

それなのに、なんで行く気になったのか。

積もり重ねたもろもろのことが、一瞬だけどこかへ飛んでいったのかもしれない。

とにかく、なんの心の咎もなく、すんなり「連れて行って」と言えたのだから。

「おはよう」の挨拶ひとつが苦しくて、どうしても言えなかったことも、同じ空間にいるというだけで存在がどうしても重く耐えられなかったことも、すんなり、あっさり、飛び越えてその言葉が出てきたのは事実。

家族4人で一日かかって4軒のお墓を回った。手際よく掃除をして、お供え物やお花をあげ、私にお水をあげるよう柄杓を渡してくれた息子の姿を見て、月日の流れを感じた。私の最後の記憶では、まだ小さくて抱っこしてあげないとお墓のてっぺんからお水をかけてあげることができなかったのに。

実家は仏壇がなく、私はお盆の意味もご先祖様を祭るということも知らずに大きくなった。結婚してはじめて、毎朝お仏壇にお参りし、早くに亡くなったお義父さんだけでなくご先祖様を大切にしているお義母さんの姿を見ることになった。それは息子である夫に受け継がれ、見様見真似ではじめた孫である私の息子にも育まれていったようだ。

道中、車の中でお義母さんとたくさん話をした。

中でもお義父さんの話を聞けたことがうれしかった。お義父さんは29歳で亡くなったそうだ。生まれた時から医者に長くは生きられないと言われていたらしい。それでも4人の子どもをもうけてくださった。自分の服を買うよりも子どものお菓子を買ってやれと言う、子どもの大好きな人だったそうだ。

私にとって息子の存在を考えた時、このことの意味は深く大きい。

お義父さんは自分の子どもの成長する姿を見ることなく亡くなった。どんなに無念なことだったろう。でもこの方がいて、お義母さんと出会い、夫を生み育ててくださったおかげで、私は息子を授かることができた。

今までご先祖様なんて自分にはまったく関係のない存在だと思っていた。今生きている両親や、一緒に暮らしている家族でさえ、生き会えた意味を感じ、そのことに感謝して生きることが難しい。

今日感じたことを忘れずにいられたら、感謝の気持ちを忘れないでいられるかナ。

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